権力を持ったがゆえに人が変わってしまう。このようなことは実際にあり得ます。クリスチャンであってもそうです。どうか、すべての主権は神にあることを私たちが忘れることがありませんように。
当時、エジプトは世界の超大国でした。そんな国の全権力を握ることは、一見、神に等しい力を持ったかのように見えたかも知れません。事実、これまでの人間の歴史を見ても、人間は、戦時中の日本のように、天皇を現人神と言って、大きな間違いを起こすことがあり得ます。
しかし、どのような絶大な権威を人間が人間社会の中で持ったとしても、神の御前には全く無力なことです。もし、みなさんが何かしら人の社会の中で、リーダーとなったり、大きな働きを任されたとしたら、このことを忘れないでいてください。すべての権威は神から来る、神が主権者であるということを。
(中略)人間は実に弱いのです。失敗する人たちを見て、簡単に批判します。その罪を指摘します。私たちも今日の出来事を聞いて、ファラオのおろかさを思います。
しかし、実際は、そのまま自分もその同じ過ちをいつでも繰り返しかねない者です。いえ実に人間の頑なさは恐ろしいほどです。またその罪は容易には断つことができません。いやむしろ、人間は、そのままでは、本来、そのような罪の連鎖の中に生きていると言ってもいいでしょう。
人間的な方法では問題解決には限界があります。一層、頑なになるばかりです。そしてこの罪の連鎖を断ち切ることは本当に容易でないのです。そして、みなが不幸になっていきます。これがとまりません。最後には、個人にとどまらず、国全体にその災いが及びます。これを断ち切ることができるのは、御子イエス・キリストの血潮のみです。
この御子の贖いをもって、真に生まれ変わった者となって、初めてそれが可能になります。そのご聖霊の御力によって。ご聖霊は私たちの罪に気づかせてくださいます。みな、自分は正しいと思う、そして、主張し行動する。しかし、ふと考えて、自分のしたことは、間違っていなかっただろうか。こう冷静に神の前に問うことができる者は幸いです。その時、聖霊なる主が働いて、私たちの心に教えてくださるでしょう。
(中略)罪の世にあって、あえてそのただ中に罪を繰り返す私たちに、神は御子イエス・キリストのみ救いの道を開いてくださいました。今も、手を広げてその赦しの手を大きく広げてくださっています。どうか、今、この救いの御手が大きく広げられているこの時、この間に、頑なにならず悔い改めるべきを悔い改め、神に立ち返ることができますように。
あえて私たちの頑なさも分かっておられてその罪に突っ走っていた私たちのために、すべて赦して十字架で私たちのために身代わりとなって死んでくださった御子イエス・キリストの今も忍耐くださっている寛容なるご愛に応え、今、悔い改めることができますように。
決してファラオのような自己中心、自分の利益のための人生を築く者となりませんように。神様はこのファラオの自己中心な頑なさをもお用いてイスラエルを救われました。
同じように御子イエス様を十字架につける人の罪をも用いても、私たちを救われました。この頑なな心の私たちでさえ。この御救いを忘れず、生涯、永遠に、この主イエス・キリストの贖いのみわざを、主なる神を、ほめたたえていけますように。
(主日礼拝メッセージ「エジプトの災い」より)