「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」(創世記50:20)
創世記の物語は、実に人間のありのままの姿を描いています。兄弟間の争い、嫉妬、憎しみ、赦せない頑なな心。残念ながら、血を分けた兄弟の間にさえ、このような問題があり、それがあらゆるところに露呈されます。
そして、そのこと故に、様々な問題を生みます。時として、長い間そのため、多くの者が苦しみます。
しかし、神は神を信じるご自身の民を、そのありのままを受けとめつつ、時にその頑なさから生じる自分勝手な思いを放置するかのように許容し、一方でその頑なな心を、実に懇ろに入念に、誠実に、途方もない時間、手間ひまをかけて扱い、ご自身を信じる一人ひとりの信仰者の人生を導き、育て、回復へと向かわせてくださいます。
一人ひとりが神に取り扱われ、変えられていきます。そして、やはり、神のみこころは、和解であり、赦しであることを覚えます。
私たちはこれを時間をかけても、仮に一生かかったとしても、学んでいきたいと願います。神様の助けを得ながら。とても人間にはできないと思います。特に複雑な人間関係の中で、深く傷つき、恨み、怒りを経験した者にそのようなことができるのかと思います。
しかし、あらゆる憎悪、恨み、憎しみ、怒りを超えて、私たちのために十字架で死んでくださった方のみ思いを覚えたいと思います。このお方のみこころを思い、このお方にならう他に解決はあり得ません。それは、どこまでも自分を無にして赦し、愛すこころです。
(主日礼拝メッセージ「和解」より)