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新しい戒め

私たちが本当にお互いを愛し合っているか、それはすべての人に自ずとわかるものです。教会はそうありたいと思います。もう人生いろいろあってへこんでしまうことばかり。でもあそこに行けば、あの教会のあの人たちと一緒に神様のお話を聞いて、それにならってお互いに励まし合えば、本当に元気になれる。そう思って喜んで来る。事実、みんな笑顔で迎えてくださる。本来なら相当親しくなれないと人に言えないような恥ずかしい話や悩みごとでも、とんでもない失敗でも、そんなこと誰にでもあること、赦されるべきこととみんな経験して知っている。教会はそんなふうにお互いの汚れたむき出しの足を洗い合うところです。弱い人間、罪人の集まり、それを知っているから、そして、それをイエス様によって赦していただいたから、きよめていただいたから、だから、みんなお互い優しくできる。愛し合い、いたわり合い、たとえ何もできなくとも、祈り合い、気遣い合う。それによって、私はあなたのこと忘れていませんよ、あなたのことを思っていますよ、という愛が伝わる。そして、それはお互い同士の心の交流であるともに、それがそのまま愛なる神様からのメッセージであることがわかります。そして、人間にはできないことでも、どんなことでもできる全知全能の神様に、どこまでも愛してくださる神様に、祈り、期待できます。しかもその希望と喜びは永遠に確かなものです。私たちの教会もいつもそのようでありたいと思います。 (2019年9月1日 主日礼拝メッセージ「新しい戒め」より)