人と人との間で問題がある。それ故、心が曇り、冷静に正しい判断ができなくなり、相手を愛せなくなり、赦せなくなり、さらに大きな問題へと発展する。
そんなことは残念ながら人の世によくあることです。クリスチャンでもそうです。
そんな時、イエス様を見上げることで一致しましょう。教会とはそういうところです。私たちは同じ一つのキリストのからだなのです。神の民はそういう者です。イエス様の十字架を見上げる時、いかにこのお方が、私たちに代わって十字架で受けるべき不条理を受けてくださり、それ故に、私たちが赦され、祝福されたことを思うと、赦せない人などいません。愛せない人などいません。
イエス様は今、私たちが愛せないと悩んでいるその愛せない方のためにも死んでくださったのです。私たちはこのお方を見上げるのです。キリストの愛は完全なのです。
「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。」(コロサイ3:14−15a)
(2019年11月17日 主日礼拝メッセージ「ヤコブのエサウとの和解」より
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